東京地方裁判所 平成4年(行ウ)152号 判決 1993年4月09日
英国、ケンブリッジ シービー七、四ディーティー、イーリ、
エンジェル・ドゥローブ、ケンブリッジシアービジネス パーク
(旧住所 英国、ケンブリッジ シービー四、四ジーエヌ、
ミルトン・ロード、ケンブリッジ サイエンス パーク)
原告
ケンブリッジ ライフ サイエンシズピーエルシー
右代表者
レスリー・ジェイムズ・ラッセル
右訴訟代理人弁護士
高橋早百合
東京都千代田区霞が関三丁目四番三号
被告
特許庁長官 麻生渡
右指定代理人
小磯武男
同
井上邦夫
同
大橋信彦
同
小林孝歳
主文
一 本件訴えを却下する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一 請求
被告が、昭和六三年七月四日付けをもってした、原告の出願にかかる国際特許出願PCT/GB八七/〇〇三六五に関する特許法一八四条の五第一項の規定による書面並びに同法一八四条の四第一項に規定する明細書、請求の範囲及び図面の日本語による翻訳文の不受理処分を取り消す。
第二 事案の概要
本件は、前記不受理処分を受けた原告が、特許法(平成二年法律第三〇号附則による改正前のもの。以下同じ。)一八四条の四第一項の規定による翻訳文の提出期間の徒過後であっても、千九百七十年六月十九日にワシントンで作成された特許協力条約四八条(2)(b)の規定により遅滞が許されるべきであり、被告の不受理処分は違法であるとして、右処分の取消しを求めた事案である。
一 争いのない事実
1 原告は、一九八六年(昭和六一年)五月二七日英国においてされた特許出願(GB八六一二八六一)を先の出願とする優先権を主張して、一九八七年(昭和六二年)五月二七日、英国を受理官庁として、固定化酵素電極の発明について特許協力条約に基づく国際出願PCT/GB八七/〇〇三六五(本件国際出願)を行ったが、本件国際出願には我が国が指定国に含まれていた。
右一九八六年五月二七日が本件国際出願の優先日であり、右優先日から一年七か月の間に、原告による国際予備審査の請求はされていないから、特許法一八四条の四第一項所定の国内書面提出期間は一九八八年(昭和六三年)一月二七日までであった。
2 原告は、本件国際出願に関し、一九八八年(昭和六三年)三月七日、特許法一八四条の五第一項の規定による書面並びに同法一八四条の四第一項に規定する明細書、請求の範囲及び図面の日本語による翻訳文(「所定翻訳文」。また、特許法一八四条の五第一項の規定による書面及び所定翻訳文をあわせて、「本件各書面」という。)を被告に提出したが、被告は、本件各書面をいずれも同年七月四日付けで、左記理由を付して、それぞれ不受理処分(本件不受理処分)とした。
記
期間経過後の差出 (注)当該出願は特許法第一八四条の四第二項の規定により取り下げたものとみなされた。
3 原告は被告に対し、昭和六三年九月一六日付けで本件不受理処分に対する異議申立てをしたが、被告は、平成四年五月二八日付けで原告の右異議申立てに対し、本件各異議申立てをいずれも却下するとの決定(本件決定)をし、本件決定書は同年五月二九日原告に送達された。本件決定の理由の要旨は次のとおりである。
「本件国際出願は、一九八六年(昭和六一年)五月二七日を優先日とする国際特許出願であって、国際予備審査の請求はされていないことから、本件国際出願に関して本件各書面を提出できるのは一九八八年(昭和六三年)一月二七日までであるところ、当該期日までに本件各書面が提出された事実は存しないので、本件国際出願は既に取り下げたものとみなされている。
したがって、本件国際出願が既に取り下げられて存しない以上、本件不受理処分を取り消すことによる利益は存しないから、本件各異議申立ては、いずれも申立ての利益を欠く不適法なものである。」
二 争点
1 訴えの利益の有無(被告の本案前の申立の理由の有無)
(一) (被告の主張)
(1) 特許法一八四条の四第一項の規定によれば、原告は、特許協力条約二条(xi)の優先日から一年八月以内に、国際出願日における特許協力条約三条(2)に規定する明細書、請求の範囲及び図面(図面の中の説明に限る。)の日本語による翻訳文を特許庁長官に提出しなければならず、同条二項の規定によれば、右期間内に明細書及び請求の範囲の翻訳文の提出がなかったときは、その国際特許出願は、取り下げられたものとみなされる。
原告は右期間内に翻訳文を提出していないから、本件国際出願は既に取り下げられたものとみなされており、そのため本件国際出願が特許庁に係属していない以上、判決によって本件不受理処分を取り消しても、原告が提出した所定翻訳文を本件国際出願の翻訳文とする余地はないから、本件不受理処分の取消しを求める訴えは訴えの利益を欠く不適法なものである。
(2) 特許協力条約一一条(3)に定める国際出願の効果(特許協力条約一一条(1)(ⅰ)から(ⅲ)までに掲げる要件を満たし、かつ、国際出願日の認められた国際出願は、国際出願日から各指定国における正規の国内出願の効果を有するものとし、国際出願日は各指定国における実際の出願日とみなす効果をいう。)は、出願人が、特許協力条約二二条に規定する行為(本件にあっては翻訳文の提出)を該当する期間内にしなかった場合には、指定国において、当該指定国における国内出願の取下げの効果と同一の効果をもって消滅するものである(特許協力条約二四条(1)(ⅲ))。もっとも特許協力条約二四条(2)においては、同条(1)の規定にかかわらず指定官庁は国際出願の効果を維持することができることとしているから、各指定官庁は国際出願の効果について、特許協力条約二四条(1)又は(2)のいずれによるかを選択することができることとなっている。そして日本国は、前記特許法一八四条の四第二項の規定を設け、同条第一項に規定する期間内に同項に規定する明細書及び請求の範囲の翻訳文の提出がなかったときは、この国際出願は、取り下げられたものとみなすこととし、特許協力条約二四条(1)を積極的に採用し、同条(2)は排除する旨を規定したものである。
よって、当該条項の適用に当たって特許協力条約における指定官庁である被告に裁量の余地は全くない。
(二) (原告の主張)
(1) 我が国法上は明文では、特許協力条約二四条(2)の規定を排除する旨定めていない。むしろ、後記2(一)において原告が主張するような日本語特許出願と外国語特許出願との差別的取扱いを防止し、特許協力条約の精神に基づく内外人平等の立場から出願人を保護する観点などから考えて、所定の期間内に翻訳文の提出がないことをもって、直ちにすべての国際出願を取り下げたものと擬制すべきではなく、右規定の適用の余地を残すべきである。
(2) また特許法一八四条の四第一項の規定は翻訳文の提出期間についての原則を規定したものであり、全く例外を排除するものと解するべきではない。後記2(一)に主張するように、特許協力条約四八条(2)(b)の適用を認めるべき外国語特許出願の出願人に対しては、例外的取扱いとして特許協力条約四八条(2)(b)の適用による追完の余地を認めることが相当である。
このようなときの国際出願の効果としては、特許法一八四条の四第一項所定の翻訳文の提出期間の徒過により直ちに同条二項を適用するのではなく、特許協力条約二四条(2)を直接適用することとすれば、国際出願の効果を維持することができ、本件国際出願の我が国への係属が可能である。
よって、本件不受理処分の取消しを求める本件訴えはその利益がある。
2 本件不受理処分の取消事由の存否
(一) (原告の主張)
(1) 本件国際出願についての日本における手続の代理人である弁理士小池晃、同田村榮一は、当初、本件国際出願の願書、明細書、請求の範囲、図面等の写しを現地代理人から入手した。この国際出願の願書の写しでは、優先権の主張の基礎となる先の出願の日付が「一九八七年五月二七日」である旨記載されていた。前記日本における手続代理人らは、明細書の翻訳を用意し、委任状の送付を受ける等本件国際出願の我が国への移行手続の準備をすると共に、当初現地代理人から依頼を受けた手紙を再確認したところ、この手紙の最下段に、前記願書の写しの優先権の基礎となる出願の日付は誤りであり、正しくは一九八六年五月二七日であると記載されていることが判明した。
そこで、前記日本における手続代理人らは急拠一九八八年(昭和六三年)三月七日付けで本件各書面を特許庁へ提出した。
(2) 特許協力条約は、国際出願について、国際段階から各指定国の国内段階に早期に移行させるために各種の手続期間を極めて厳格に定めている。しかし、同条約は一方において、この厳格な手続期間の徒過により出願人が受ける極めて重大な不利益を回避するために、四八条(1)において郵便物の亡失などにより期間が遵守されなかった場合の救済について規定するとともに、更に同条(2)(b)において、「締約国は、期間が遵守されていないことが(a)の事由以外の事由による場合であっても、自国に関するかぎり、遅滞を許すことができる。」と規定している。また、特許協力条約はパリ条約の特別取決めであるが、このパリ条約は五条の二において、工業所有権の存続のための料金納付の猶予期間等について規定を設け、料金納付期間徒過後の救済を与えている。したがって、パリ条約一九条の特別取決めである特許協力条約の前記四八条も、このパリ条約五条の二の趣旨ないしは精神を具体化したものと解するべきものである。
けだし、特許協力条約が国際出願制度を創設し、指定国に対し現実の出願がされていなくても管轄受理官庁において国際出願日が認定されると、当該国際出願の当該国際出願日は各指定国における実際の出願日とみなす(特許協力条約一一条(3))とし、更にこの国際出願について、各国の重複した手続労力の緩和を図り発明保護を一層経済的なものにするという特許協力条約の目的から、国際調査、国際公開等の各種の手続を国際段階において一括して行うために、それらの個々の手続を行う期間を厳格に規定し、現実に出願が行われていない指定国に対して所定の書面(国際出願の写し、国際調査報告書等)を送達(特許協力条約二〇条)して国内手続に早急に移行するようにしていることに鑑みれば、特許協力条約四八条は、前記パリ条約五条の二の趣旨を待つまでもなく、こうした国際段階から国内段階への早急な移行を行う段階で期間の徒過による出願人の受ける重大な不利益を救済するためのものであると解すべきである。
このことは、特許協力条約が二五条において所定の期間内に国際事務局が国際出願の記録原本を受理せず、当該国際出願の取下げが擬制された場合にその救済を図っていることからも容易に理解できる。すなわち、特許協力条約は受理官庁及び出願人に対して各種の厳格な期間のもとで手続を行うことを義務付ける一方で、当該期間が遵守されなかった場合において出願人が受ける極めて重大な不利益を克服させることを要請している。
そして、こうした特許協力条約の規定を受けてこの特許協力条約の締約国の多くは、所定の期間内に手続がなされなかった場合に出願人が受ける重大な不利益を回復させるために具体的に種々の規定を設けている。例えば、アメリカ合衆国では特許法三七一条d、オーストリアでは特許法一二九条、スイス連邦では四七条、更に欧州特許権付与制度に関する条約では一二二条において、期間が遵守されなかった場合の救済規定を設けている。
(3) 我が国では具体的に前記のような救済規定をそれぞれ設けていない。
我が国特許法では四条で法定期間の延長を定めてはいるが、前記法定期間として延長が認められるのは特許異議申立書の補正期間、所定の審判請求期間及び特許料の納付期間のみであり、国際出願に関連する法定期間の延長について明文の規定はない。
しかしながら、前述のような特許協力条約の各規定、諸外国の規定、更には期間内に手続ができなかったことにより出願人の受ける極めて重大な不利益に鑑みれば、たとえ我が国の特許法に前記特許協力条約四八条(2)(b)を具体化する規定が存在しなくとも当該規定を直接適用して出願人の不利益を補填するべきことは当然であり、そうしないと出願人又は発明者に過酷に失する。
憲法は九八条二項において、「日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。」と規定し、更に我が国特許法二六条は、「特許に関し条約に別段の定めがあるときは、その規定による。」とする。
そして前記特許協力条約四八条(2)(b)は、「遅滞を許すことができる。」としているが、前述した特許協力条約の各規定の趣旨からすれば、本条は各指定国に全くの自由な裁量権を付与したものと解すべきではなく、むしろ、各指定国にこの規定の具体化を図ることを義務付けているものと解すべきであり、この規定が我が国特許法に存在しない以上、この規定を直接適用すべきである。しかも、この特許協力条約四八条(2)(b)の規定は、国内法令で具体的な規定を設けなければ適用することができないほど抽象的なものではなく、十分具体的なものである。
仮に、我が国がこのような弾力的な解釈をせず前記特許協力条約の規定を無視するならば、我が国の最高法規たる憲法に定める「条約を誠実に遵守する」ことにはならず憲法違反の行政処分となることを免れ得ない。
(4) 右のように解釈して期間内に手続を行うことのできなかった出願人の救済を図ったとしても、そのことが直接第三者に対して不利益を与えることにはならない。すなわち、本件国際出願は、国際公開がされていることから国際出願日が認定された時点における願書、明細書、請求の範囲、図面もしくは要約については閲覧し得るものの、その他の書類例えば国際公開公報の写し、国際調査報告書はもちろん、翻訳文や特許法一八四条の五に規定する書面等について第三者は全くその存否を確認することはできず、このことからすれば本件国際出願について先にした移行手続が、前記特許協力条約四八条(2)(b)を直接の根拠として受理が認められたとしても、前記のように第三者に国内移行手続がなされたか否かの事実を知る術が与えられていない以上、当該第三者に対して不利益を与えることは考えられないのである。
(5) 我が国のみが特許協力条約四八条(2)(b)の規定を具体化する法律がないことを理由に弾力的取扱いを否定することは、現在我が国が世界で置かれている立場ないし我が国が諸外国からの要求されている事項に反する結果となるから、本件国際出願について右の特許協力条約の規定の適用による弾力的取扱いをすべき理由は十分にある。
しかも現在では、翻訳文を早期に提出させることの重要性は、出願人以外の第三者との関係のみならず後願の審査の上でもかなり薄れているから、本件外国語特許出願に対してことさら強硬な態度で前記特許協力条約四八条(2)(b)の規定の適用を拒む理由は極めて乏しく、逆に適用しないことによる弊害は甚大なものである。
(6) 日本語でされ日本を指定国に含みかつ国際出願日が認定された国際出願である日本語特許出願に対しては、我が国の国内段階に移行するために必要な手続は、特許法一八四条の五第一項に規定される書面及び所定の国内手数料を支払うことにあり、これらの手続が国内書面提出期間内に全く行われない場合であっても特許法一八四条の五第二項の規定により補正命令がなされ、この補正命令に従い前記書面及び手数料を提出すれば、移行手続を完了することができる。
それに対し外国語特許出願については、右の日本語特許出願の国内移行手続として要求される前記書面に加えて翻訳文の提出が要求されているが、この翻訳文が所定期間内に提出されない場合は、前記のような補正命令の対象とはならず、外国語特許出願については結果的に一切補正命令の機会が与えられず、明文で規定されるあらゆる手続を踏んだとしても当該出願発明を我が国で特許されるようにすることは極めて困難である。このことは外国語特許出願の出願人である外国人を、日本語特許出願の出願人である日本人よりも劣位に置くことに他ならず、内外人平等を保証しようとするパリ条約二条に規定の内国民待遇の原則に違反する可能性が高いというべきものである。
また特許協力条約一五条は国際調査制度を採用し、先行技術の調査結果である国際調査報告書を各指定国と出願人に送達して、出願人に対して当該国際出願を各指定国に移行させるべきか否かの判断資料として役立たせるようにしている。しかし右国際調査報告が出願人に送達されるのは優先日から略一九か月後であり(特許協力条約規則47・1)、たとえ当該報告書に列挙された文献入手期間及び検討の期間をすべて除外したとしても、当該国際出願の内容を翻訳して指定国である我が国に移行するための準備期間は僅か二か月足らず存在するのみである。このように外国語特許出願の出願人は、日本語特許出願に課せられる義務に加重された翻訳文提出義務が課せられているにもかかわらず、この義務を負う出願人に対して日本語特許出願の出願人と全く同一の取扱いを行い、何らの救済をおこなわないとすれば、外国語特許出願人に対する差別的取扱いであるといわざるを得ない。
このような我が国の外国語特許出願に対する種々の差別的取扱いからすれば、我が国特許法の規定はパリ条約二条の規定にも違反する可能性があり、この可能性を回避する意味からしても我が国に関して前記特許協力条約第四八条(2)(b)の規定の直接適用をすべきである。
(7) このように特許協力条約が規定する国際出願制度の性質及び特許協力条約の根拠となるパリ条約の種々の規定の趣旨ないしは精神、また我が国特許法における翻訳文の早期提出の必要性の低下及び外国語特許出願に対する差別的規定、更には諸外国に対する我が国の置かれた立場などを総合的に考慮すれば、本件国際出願は特許協力条約四八条(2)(b)の規定により当然救済されるべきものである。
(二) (被告の主張)
(1) 特許協力条約四八条(2)(a)、(b)の規定は、出願人等の期間の不遵守につき救済しようとするものであるところ、(2)(a)の規定は、締約国は、期間の不遵守について国内法令で救済できる事由と同一の事由がある場合には、その遅滞を許さなければならない旨を定め、締約国に義務を課しているものである。しかしながら、(2)(b)の規定は、同条(2)(a)の事由以外の事由による期間の不遵守の場合であっても救済することができることを定めたものであり、その遅滞を許すかどうかは全くの任意であって、義務ではない。このことは同条(2)(b)の規定が「締約国は、期間が遵守されていないことが(a)の事由以外の事由による場合であっても、自国に関する限り、遅滞を許すことができる。」と規定しているところからも明らかである。
そして、国際出願の手続を、国際段階の手続から国内段階の手続に移行させるための国内段階の手続を定めた特許協力条約二二条では、出願人は各指定官庁に対し、優先日から二〇か月を経過するときまでに所定の翻訳文を提出しなければならない旨、右翻訳文の提出期間については、これよりも遅い時期に満了する期間を締約国が定めることができる旨を規定しているが、当該各条約に定める期間よりも遅いときに満了する期間を認める締約国は、その定めた期間を国際事務局に通知しなければならず、右通知を受領した国際事務局は、速やかに公報に掲載することとなっている(特許協力条約に基づく規則50.1(a)、(b))。これは、事前にその旨を公示して法的安定を図るものであるから、右翻訳文の提出期間について、特許協力条約に定める期間よりも遅いときに満了する期間を認める国内法的措置が存在しない以上、途中に生ずる不可抗力による遅滞の延長は認めない趣旨と解すべきである。
(2) また、外国語でされた国際特許出願の所定の翻訳文の提出期間については、特許協力条約二二条(1)において明確に規定されており、特許法一八四条の四第一項所定の翻訳文の提出期間については、当該条約の規定に準拠したものであり、特許法一八四条の四第二項の規定については、所定の翻訳文の提出を期間内にしなかった場合の当該指定国における国際特許出願の効果の喪失について明記した特許協力条約二四条(1)(ⅲ)の規定に準拠したものである。そして、特許法一八四条の四第一項所定の翻訳文の提出期間の徒過については、特許法上救済規定が設けられていない。
(3) 以上からすれば、特許法の趣旨は、同法一八四条の四第一項所定の期間の不遵守が出願人の責に帰すべき事由によると否とを問わず、右期間経過後は同条第二項により出願の取下げを擬制することにより以後の手続を明確化し、特許法律関係の安定化を図るところにあると解すべきであるから、法一八四条の四第一項所定の翻訳文の提出期間が遵守されなかった場合に、原告の主張のように特許協力条約四八条(2)(b)の規定を適用する余地はない。
第三 当裁判所の判断
一 争点1について
1 前記争いのない事実1及び特許法一八四条の四第一項の規定によれば、国際予備審査の請求がされていない本件国際出願については、同条一項に規定された翻訳文の提出期限は一九八八年(昭和六三年)一月二七日である。そして右期間内に原告は明細書及び請求の範囲の翻訳文を提出していないから、本件国際出願については、同条二項の規定により、取り下げられたものとみなされた。
そうしてみると本件国際出願は既に特許庁に係属しておらず、判決によって本件不受理処分を取り消しても、本件各書面を本件国際出願の翻訳文及び特許法一八四条の五第一項所定の書面とする余地はないから、本件訴えは訴えの利益を欠く。
2 原告は、第二、二、1(二)のとおり主張する。
しかし、特許協力条約二四条(1)(ⅲ)が、出願人が特許協力条約二二条に規定する行為(指定官庁に対する翻訳文の提出を含む。)を該当する期間内にしなかった場合に、特許協力条約一一条(3)に定める国際出願の効果は、指定国において当該指定国における国内出願の取下げの効果と同一の効果をもって消滅するとし、他方、特許協力条約二四条(2)において同条(1)の規定にかかわらず指定官庁は国際出願の効果を維持することができる旨定めているものであることからすれば、特許協力条約は、同条約の締約国が、翻訳文の提出がない場合の国際出願の効果について、特許協力条約二四条(1)又は(2)のいずれによるかを選択することができることとしたものであることは右規定の文言から明らかである。
そして特許法一八四条の四第二項によれば、我が国は、同条一項に規定する期間内に同条二項に規定する明細書及び請求の範囲の翻訳文の提出がなかったときは、この国際出願は取り下げられたものとみなすこととして、特許協力条約二四条(1)を積極的に採用し、同条(2)はこれを排除する旨を規定したものであることもまた右各規定文言から明らかである。
また、特許協力条約四八条(2)(a)は、締約国は、同条約又は規則に定める期間が遵守されていないことが国内法令で認められている遅滞の事由と同一の事由による場合には、自国に関する限り、遅滞を許すものとする旨定め、他方同条(2)(b)は、締約国は、期間が遵守されていないことが、(a)の事由以外の事由による場合であっても、自国に関する限り、遅滞を許すことができると定めていることからすれば、同条(2)(a)の規定は、締約国に義務を課しているものであるが、同条(2)(b)の規定については、そのような遅滞を許すか否かは締約国が任意に選択できるものであることは明白である。
ところで、前記第二、二、2(一)(1)の原告の主張によれば、原告が本件各書面を所定期間内に提出できなかったのは、要するに、原告の現地代理人から、日本における手続の代理人への通信の表現が不適切であったか、その読解が不正確であったことに帰する。
仮に、原告主張のとおりの遅滞の原因があったとしても、特許法一八四条の二第二項が同条一項に規定する期間内に、同条二項に規定する明細書及び請求の範囲の翻訳文の提出がなかったときは、この国際出願は取り下げられたものとみなす旨規定し、右翻訳文の提出の遅滞を許す規定は、特許法一九条が、郵便により書類を提出した場合に、郵便局に書類が提出された日時等に書類が特許庁に到達したものとみなすことにより、郵便業務の中断、遅延に起因する遅滞を許す機能を果たしている(いわゆる国際段階については、特許協力条約に基づく国際出願等に関する法律施行規則七三条の二から七六条までの規定がある。)外には存在しないから、我が国は特許協力条約四八条(2)(b)に規定された事由による遅滞を許していないものであり、前記のような日本における手続の代理人への連絡の過程における過誤に起因する遅滞は許されない。
前記の特許協力条約二四条(2)及び四八条(2)(b)のように条約自体が締約国に採否の選択を認めている条項で我が国が採用していない条項については、これを直接に、あるいは特許法二六条を介して、我が国において適用する余地はないものと解するのが相当である。すなわち、条約自体がその条項をそのような効力のものと規定しているからである。
また、特許協力条約自体が、締約国に前記各条項の採否の選択を認めている以上、前記各条項を採用しないこと及び前記各条項の適用を認めないことが憲法九八条二項に反するものではない。
更に、特許協力条約が、ある指定国にとっては外国語である言語による国際出願と指定官庁への所定期間内の翻訳文の提出を定める一方で、締約国に同条約二四条(2)及び四八条(2)(b)の採否の選択を認めている以上、我が国内において、外国語による国際出願に関し、所定の翻訳文の提出の遅滞について、同条約二四条(2)及び四八条(2)(b)を採用しないこと又は右各条項を適用しないことは、同条約自体が許容した取扱いであり、外国語による国際出願の日本語出願に対する差別取扱いであるとか、内外人平等の精神に反するということはできない。
また、本件のような翻訳文の提出の遅滞が許されず、国際出願が取り下げられたものとみなされることは、日本国民が、我が国において特許協力条約に基づく国際出願等に関する法律に従って、通商産業省令所定の外国語で、日本を指定国として特許協力条約による国際出願をした場合及び日本国民が、外国において、外国語で、日本を指定国として特許協力条約による国際出願をした場合であっても同様であるから、工業所有権の保護に関する千八百八十三年三月二十日のパリ条約二条の規定に反するものではない。
二 よって、原告の本件訴えは不適法である。
(裁判長裁判官 西田美昭 裁判官 宍戸充 裁判官 櫻林正己)